内向型、外向型のリーダーシップ

自己啓発カリスマのセミナーで

「わくわくしてる?」参加申込書を手渡すと、ステーシーという名前の若い女性が大きな声で問いかけてきた。

尻上がりの口調はとても感じよく響いた。

セラピストのJさんはうなずいて、精一杯の笑顔で応えた。

アトランタ・コンベンションセンターのロビーに入ると、人々の叫び声が聞こえた。

「あれは、なにを騒いでいるの?」Jさんは尋ねた。

「参加者の一人ひとりに元気を吹き込んでいるの!さあ、UPWの体験のはじまりよ」ステーシーは熱い口調で言うと、紫色のスパイラルノートと首からかけるネームタグをくれた。

ノートの表紙には、ブロック体で「内なるパワーを解き放て」と大書してあった。

全米一の自己啓発コーチ、トニー・ロビンズの入門レベルのセミナーへようこそ。

セミナー参加費は895ドル。

宣伝用の資料によれば、参加すればよりエネルギッシュになることができ、人生に勢いがつき、恐れを克服する方法を学べるのだという。

だが、じつをいえば、Jさんがセミナーに参加したのは自分の内なるパワーを解き放つためではなかった。

外向型の理想を理解する第一歩を踏み出すためだった。

宣材によれば、トニー・ロビンズはテレビやラジオなどあらゆる媒体からつねに情報を発信しているとのことで、まさに外向型の代表的な人物という印象を受けた。

そのうえ、彼はただものではない。

カリスマ的な自己啓発コーチであり、顧客名簿にはクリントン元米大統領をはじめ、タイガー・ウッズ、ネルソン・マンデラ、マーガレット・サッチャー、プリンセス・ダイアナ、ミハイル・ゴルバチョフ、マザーテレサ、セリーナ・ウィリアムズ、ダナ・キャランといった錚々たる名前が並び、総数は5000万人にものぼる。

アメリカでは非常に数多くの人々が自己啓発を信奉し、年間110億ドル規模の産業となっており、その理論を実践すれば理想的な自己を明確に認識できるという。

理想的な自己とはどんなものなのか知りたいと、Jさんは思った。

食べ物を持ってきているかと、ステーシーに訊かれた。

奇妙な質問だ。

ニューヨークからアトランタへ、わざわざ夕食を持参しなければならないのだろうか?

会場内で燃料補給をしたくなるからだと、ステーシーが説明した。

これからの四日間、金曜日から月曜日まで、毎日午前8時から午後11時まで、午後に一回だけある休憩を挟んで15時間ものセッションが続く。

トニーはずっとステージにいるので、参加者は一瞬たりとも会場から離れる気にはなれないそうだ。

ロビーを見渡してみると、なるほど、みんな準備万端らしい。

エネルギー補給食品のパワーバーや、バナナやコーンチップスが入った袋を手にして、元気に会場内へ向かっている。

Jさんは売店でリンゴを買ってから会場へ入ることにした。

UPWと書かれたTシャツを着て満面の笑みを浮かべたスタッフが会場入り口に並んで、参加者たちに声をかけている。

彼らとハイタッチをしないと会場へ入れない仕組みだ。

広大な会場へ入ると、ビリー・アイドルの曲が大音量で流れ、ステージの背後の巨大スクリーンが輝くなか、ダンサーたちが参加者の気分を盛り上げていた。

ブリトニー・スピアーズのバックダンサーのように一糸乱れぬ動きを見せているが、衣装はまるで中間管理職だ。

会場を取り仕切っているのは40代の禿げ頭の男で、ボタンダウンの白いシャツに地味なネクタイ、シャツの袖をまくりあげて、歓迎の笑みを浮かべている。

ダンスの振り付けは単純で、座席についた参加者たちもすぐに一緒に踊れる。

ジャンプして、拍手二回。左へ拍手、右へ拍手。

曲が変わると、参加者の多くが金属製の折り畳み椅子の上に立って、叫びながら拍手しだした。

Jさんは両腕を組んで、居心地悪そうに立っていたが、結局は仕方なくみんなと一緒に飛んだり跳ねたりすることにした。

そのうちに、ようやく待ちかねた瞬間が来た。

トニー・ロビンズがステージに登場したのだ。

二メートル近い長身のうえに、巨大スクリーンに映った姿は100倍にも大きく見える。

濃い茶色の髪、映画スターのようにハンサムな顔、歯磨きのコマーシャルに出てくるようなみごとな笑み、くっきり高い頬骨。

「トニー・ロビンズのライブのはじまりです!」と司会者が大声で宣言するなか、彼はすっかり陶酔状態の参加者たちと一緒に踊っている。

会場内の温度は10度ほどしかないのに、トニーは半袖Tシャツに短パン姿だ。

室温はすばらしい新陳代謝を誇る彼に合わせて設定されているのかもしれない。

それを承知しているのか、毛布持参の参加者もいる。

きっと、氷河期でも来なければトニーは寒さなど感じないのだろう。

彼は3800人もの参加者と一人ひとりアイコンタクトをとろうと、ステージ上を笑顔で動きまわる。

参加者のほうも、狂喜してそれに応えている。

トニーは全員を祝福するように両腕を大きく広げた。

ひょっとしたら、もしイエス・キリストが地上へ戻って、最初にこのアトランタ・コンベンションセンターに降臨したとしても、これほど熱狂的な歓迎は受けないかもしれない。

895ドルを支払って一般入場券を買った、後列にいるJさんの周囲の人々も、2500ドル支払ってトニーに一番近い席に座れるダイヤモンド・プレミア・メンバーシップを買った人々も、同じように興奮していた。

チケットを買ったとき電話口の担当者は巨大スクリーン越しではなく、直接トニーを見られる前方席の人々のほうが「人生で成功する」と教えてくれた。

「より多くのエネルギーを持っている人たちです」と彼女は言った。

周囲の席の人が人生で成功しているかどうか判断するすべはないが、ここにいることを楽しんでいるのは間違いないようだった。

トニーがスポットライトを浴びて登場するや、まるでロックコンサートのように人々は通路へと溢れだした。

すぐに、私もそれに参加した。

ダンスは好きだし、懐かしの大ヒット曲に合わせて体を動かすのはとても楽しい。

解放されたパワーはエネルギーの高まりから生まれるとトニーは言うが、それは納得できる。

たくさんの人たちが遠くから彼に会いに来るのも当然だ(Jさんの隣には、ウクライナから来た若い女性が満足げな笑顔を浮かべていた)。

ニューヨークへ戻ったらエアロビクスを再開しようと、Jさんは思った。

■参考記事
内向型と外向型はどこが違う?
内向型人間の心理
生まれつきの内向型
パートナーの内向型、外向型組み合わせ特徴
内向型の子育て

発揚性気質

やがて音楽が止むと、トニーが操り人形のような、それでいてセクシーな声で「実践的心理学」という自説について話しだした。

その要点は、知識は行動を伴わなければ役に立たないということだ。

口調はよどみなく、『セールスマンの死』に登場するウィリー・ローマンが耳にしたらため息をつくほど説得力に満ちている。

実践的心理学を実演するために、近くにいる人とパートナーを組んで、まずは自己紹介し合うようにと指示された。

Jさんはアトランタのダウンタウンに住む建設作業員とペアになって、そそくさと握手し、気まずい感じで床を見つめた。

会場にはチープ・トリックの『アイ・ウォント・ユー・トゥ・ウォント・ミー』が流れている。

すると、トニーが立て続けに質問を投げかける。

「あなたの呼吸はゆったりしていますか、それとも浅いですか?」

「浅いです!」参加者がいっせいに答える。

「ためらいましたか、それとも率直に話せましたか?」

「ためらいました!」

「あなたの体は緊張していますか、それともリラックスしていますか?」

「緊張しています!」

つぎにトニーはもう一度パートナーと自己紹介し合うように指示する。

ただし今度は、最初の5秒間の印象で相手が自分とビジネスをしてくれるかどうかを判断するのだと、自分の心に言い聞かせてから挨拶するように、という条件つきだ。

もし相手がビジネスをしてくれなければ、「あなたが大切に思っている人たちが全員みじめにしんでしまう」と思いなさい、と彼は言った。

トニーがビジネス上の成功を強調したので、Jさんは驚いた―これはビジネスではなくパーソナルパワーに関するセミナーのはずなのに。

だが、考えてみれば、トニーは生き方のコーチであるだけでなく、偉大なビジネスマンでもある。

そもそもはセールスの職に就き、現在では会社を七つも経営している。

『ビジネスウィーク』誌が、彼の年収を8000万ドルと推定したこともある。

ステージにいる彼は力強い個性を発揮して、自分が持っているセールスマンとしての流儀を聴衆に分け与えようとしていた。

体内に強い力を感じるだけでなくエネルギーの波動を放射しなさい、相手に好かれるだけでなく大いに好かれなさいと彼は求めた。

いかにして自分自身を売り込むかを知りなさいと求めた。

このセミナーに参加する前に、アンソニー・ロビンズ株式会社のオンライン上にある45ページの小冊子を予習用に読んだのだが、そこにも同じことが書いてあった。

参加者たちはふたたびペアになって、熱心に自己紹介を開始し、パートナーと何度も握手した。

それが終わると、トニーがもう一度質問した。

「気分がよかったですか、イエスそれともノー?」
「イエス!」

「さっきとは体の感覚が違いますか、イエスそれともノー?」
「イエス!」

「顔の筋肉をさっきよりも使いましたか、イエスそれともノー?」
「イエス!」

「さっきよりも相手にまっすぐ向かいましたか、イエスそれともノー?」
「イエス!」

このエクササイズの目的は、私たちの生理学的状況が行動や感情にどんなふうに影響するかを示すことだったらしい。

他人との出会いは、相手の好意を勝ち取れるかどうかの勝負だと言われているように思えた。

できるかぎり外向的な態度でその試練に立ち向かえということだ。

精力的で自信たっぷりでなければならない。

ためらっているように見えてはいけない。

笑えば相手も笑ってくれる。

そうしていれば気分がよくなる。

そして、気分がよくなれば、自分自身をもっと上手に売り込める。

トニーはそういうスキルを実演するのに最適の人物だ。

Jさんの目には「発揚性気質」に思えた。

それはすなわち一種の外向的な気質で、ある精神科医によれば「活動的で陽気で、自信過剰な感情的性質」であり、とくにセールスなどのビジネスにおいては財産とみなされる。

この性質を持つ人はとても社交的で、ステージの上のトニーはまさにそうだった。

だが、もしあなたが、発揚性気質の人を賞賛するだけでなく、物静かで思慮深い自己を大切に思っていたらどうすればいいのだろう?

行動するための設計図としてだけでなく、知識自体を愛していたらどうだろう?

内相的な人が世の中にもっとたくさんいればいいと願っていたらどうだろう?

そうした質問をトニーは予期しているように思える。

セミナーの最初に彼はこう言った。

「だけど、自分は外向型じゃないからって言う人がいるでしょう!それがどうしたって?生きているって感じるには、外向型である必要なんかありません!」

たしかにそうだ。

だが、トニーによれば、もしセールス電話で失敗して家族に悲惨な死を迎えさせたくなかったら、外向型のようにふるまうのがいいらしい。

性格の文化の登場とともに、つまるところ、私たちは利己的な理由のために、外向的な性格を築くよう促された―これは匿名化が進んだ競争社会で光輝く手段のひとつだ。

だが、現在では、より外向的になることは成功を導くだけでなく、私たちをより良い人間にすると考えられている。

売り込みの手腕を、自分の才能を発揮する方法とみなしているのだ。

だからこそ、トニーの売り込みの手腕への熱意や、一度に数千人の人に崇められている様子は、ナルシシズムや強引な売り込みとしてではなく、至高のリーダーシップとみなされるのだ。

エイブラハム・リンカーンが「人格の時代」の美徳の具現化だったとしたら、トニー・ロビンズは「性格の時代」における同等の存在だろう。

じつのところ、アメリカ大統領に立候補しようかとトニーが言ったとき、セミナーの聴衆は大喝采を送った。

だが、リーダーシップとハイパーな外向性は同等だという考え方は、つねに成立するのだろうか?

それを確かめるために、現代の政治や経済などの世界のすばらしいリーダーを発見し育成すると自負している、ハーバード・ビジネススクール(HBS)を訪ねた。

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ビジネススクールとリーダーシップ

HBSのキャンパスで最初に気付いたのは、人々の歩き方だった。

のんびり歩いたり、ぶらぶら散歩したり、長時間立ち話をしている人はひとりもいない。

だれもがみな、勢いよく大股で歩いている。

セラピストのJさんが訪れたのは清々しい秋の日で、キャンパスを闊歩する学生たちは、全身から新学期のぴんと張り詰めた気配を発していた。

談話室や大小の会議室や食堂を備え、社交の場になっているスパングラー・センターでも、学生たちの様子は同じだ。

絹のカーテンで縁取られた大きな窓、ゆったりした革張りのソファ、サムスン製の巨大なハイビジョンTVの画面にはキャンパスニュースが映しだされ、すばらしく高い天井でシャンデリアが光り輝いている。

テーブルやソファは壁面に沿って配置されているので、証明に照らされた中央の通路はまるで花道のようで、そんな晴れがましい場所を学生たちは事もなげに堂々と闊歩している。

その平然とした様子には感心させられた。

それどころか、学生たちは豪華な背景以上に輝いて見えた。

太りすぎていたり、肌の調子が悪かったり、奇妙なアクセサリーをつけていたりする者はひとりも見当たらない。

女子学生はみな、チアリーダーのキャプテンになるタイプと、「一番成功しそうな人」の称号を同級生からもらうタイプの中間だ。

体にフィットするジーンズに、透けて見えるほど薄いブラウス、オープントウのハイヒールの音を磨かれた床に響かせながら歩く。

なかにはファッションモデルのような女子学生もいるが、無表情で超然としているのではなく、社交的で笑みを浮かべているところがモデルとは違う。

男子学生は身だしなみがよく、運動が得意そうだ。

見るからにリーダータイプだが、友好的で、優秀なボーイスカウト団員のように見える。

もし車で通りかかって、道を訊いたら、きっと自信たっぷりな笑みを浮かべて、目的地までの行き方を熱心に教えてくれるに違いない―たとえ道を知らなくても。

Jさんはドライブ旅行の計画を立てている男女の隣に座った―HBSの学生はいつも、パブめぐりやパーティーの相談をしたり、行ってきたばかりの旅行の土産話をしたりしている。

キャンパスを訪ねた理由を訊かれたので、内向的な人間と外向的な人間の記事を書くために情報収集をしていると答えた。

Jさんの友人のHBS卒業生が、HBSを「外向的な人間の総本山」と呼んだことは言わないでおいた。

だが、そんなことはいうまでもなかったようだ。

「ここで内向的な人間を見つけられるよう、幸運を祈っていますよ」ひとりが言った。

「この学校は外向的な人間の集まりだから」もう一人も言った。

「成績も社会的ステータスも外向性しだいです。ここにいるのはみんな、はっきりしゃべり、社交性に富んでいる、外向きの人間ばかりですよ」

「内向的な人はひとりもいないの?」Jさんは尋ねた。

彼らはものめずらしげな目つきでJさんを見た。

「さあ、思いつきませんね」最初の学生がそっけなく答えた。

■参考記事
内向型と外向型、対照的な二つの性質
外向型はどのようにして文化的理想になったか
共同作業が創造性をなくす
内向型は生まれつきなのか

55%しか自信がなくても確信を持って話す

HBSはあらゆる意味で特別な場所だ。

創立は1908年。

ちょうどデール・カーネギーがセールスの道に足を踏み入れた頃で、弁論術の教室で教えはじめるわずか四年前のことだ。

「世界を変えるリーダーを教育する場」を自負している。

ジョージ・W・ブッシュ元大統領はここの卒業生であり、ほかにも歴代の世界銀行総裁や財務長官やニューヨーク市長、<ゼネラル・エレクトリック(GE)><ゴールドマン・サックス><プロクター・アンド・ギャンブル>といった大企業のCEO、さらには<エンロン>事件で悪名を轟かされたジェフリー・スキリングなどが卒業生名簿に名前を連ねている。
2004年から2006年のあいだ、『フォーチュン』誌が選んだ全米上位50社の重役トップスリーのうち20%をHBSの卒業生が占めていた。

HBSの卒業生たちは、知らないうちにあなたの人生に影響を及ぼしている。

彼らは誰が、いつ、戦争へ行くべきかを決め、デトロイトの自動車産業の運命を決定し、大企業や中流階級や米政府を揺さぶるあらゆる危機において指導的役割を担うのだ。

あなたがアメリカの大企業で働くのならば、あなたの日常生活はHBSの卒業生によって決められる可能性が高い。

職場でのプライバシーはどれくらい必要か、チームビルディングのためのセッションに年間どれくらいの時間を割くべきか、創造性を養うにはブレインストーミングが必要かそれとも孤独が必要か、決めるのは彼らなのだ。

その影響力を考えれば、どんな人間がHBSに入学し、卒業するまでにどんな価値観を身につけるか、知っておいて損はないだろう。

HBSで内向的な人間を見つけられるように祈ると言っていた学生は、そんなことは不可能だと信じていたのだろう。

けれど、彼はきっと、一年生のドン・チェンを知らなかったに違いない。

スパングラー・センターで出会ったとき、チェンはドライブ旅行の計画を立てている男女から少し離れたソファに座っていた。

初対面の彼は典型的なHBSの学生に見えた。

背が高く、礼儀正しく、高い頬骨、魅力的な笑み。

卒業したら、個人投資関係の仕事に就きたいと言う。

だが、話しているうちに、彼の声がクラスメイトたちよりも落ち着いていて、首をほんの少しかしげて、ためらいがちな笑みを浮かべてしゃべっているのに気付いた。

「苦しい内向的人間」とチェンは自分を評した。

HBSで暮らすにつれて、自分を変えなければいけないという確信が強まるので「苦しい」のだと、彼は快活に説明した。

チェンはひとりで過ごすのが好きだそうだが、それはHBSでは例外的だ。

彼らの毎日は午前中の一時間半の「学習チーム」ミーティングではじまる。

学習チームは前もって割りあてられたグループで、必ず参加しなければならない(HBSの学生はトイレへ行くのもチーム単位だ)。

午前中の残りの時間は教室で過ごしたり、階段式座席がある90人収容の大教室で講義を受けたりする。

教授はまず、学生を指名して、現実世界のビジネスにもとづいたケーススタディを検討するように指示する―たとえば、CEOが自社の給与体系を変革しようと試みる例など。

このケーススタディでは、CEOは「主役」と呼ばれる。

「もし、きみが主役だったら、どうする?」と教授は問いかける。

すぐにきみは実際にそうなるのだよという意味が含まれているのだ。

HBSの教育の本質は、リーダーは自信を持って行動し、不十分な情報しかなくても決断しなければならない、というものだ。

その教育法は、昔ながらの質疑応答を利用したものだ。

最大限の情報を手に入れるまで行動を控えるべきか?

それとも、ためらうことで、他者からの信頼や自分の勢いを失うリスクを冒すべきか?

答えは明白ではない。

間違った情報をもとに断言すれば、人々を悲劇に導く可能性がある。

だが、迷いを見せれば、士気が落ちたり、投資を得られなかったり、組織が崩壊したりしかねない。

HBSの教育法は、あきらかに確実性を求めている。

CEOはつねに最善の道を知っているとはかぎらないが、いずれにしろ行動しなければならない。

HBSの学生たちは順番に意見を求められる。

学習チームでケーススタディをしてあれば、それは学生にとって理想的だ。

ひとりが意見を発表し終わると、教授はほかの学生たちに異なる意見を求める。

学生たちの成績の半分、そして社会的ステータスのかなり大きな部分が、この論争に身を投じるかどうかにかかっている。

説得力のある発言をたくさんする学生はプレーヤーであり、そうでない学生は傍観者だ。

学生たちの多くは、このシステムにすぐに慣れる。

だが、チェンはそうではなかった。

彼は他人を押しのけてまで発言するのは苦手で、授業でほとんどしゃべらないこともある。

有意義な内容だと確信できるときや、誰かの意見に断固反対だと思ったときだけ発言したいのだ。

それはもっともだとうなずけるが、もっと発言回数を増やしたほうが教室での居心地がよくなるだろうと、彼は感じている。

チェンと同じく思慮深く熟考を好むタイプの友人たちは、授業についていろいろ考えたり相談したりしている。

どれくらい発言すると多すぎるのか?

逆に、少なすぎると判断されるのはどれくらいか?

他人の意見への反論は、どの程度ならば健全な討論とみなされるのか?

チェンの友人のひとりは、その日のケーススタディについて現実世界での経験がどれくらいあるか、教授が学生たちに問い合わせるメールを送ってきたことを気にやんでいた。

教授がそんなメールをくれたのは、先週の授業で自分が発したようなばかな発言を未熟に防ごうとしているのではないかと心配なのだ。

別のひとりは、大きな声で発言できないのを心配していた。

「地声が小さいから、ほかの学生たちと討論するには、叫ぶくらいのつもりで話さなければならない。僕にとっては大変なことなんです」

学校側もおとなしい学生を雄弁家に変身させようと一生懸命だ。

教授たちは自分たちの学習チームをつくって、寡黙な学生に発言させる技術を研究する。

学生が教室で発言できなければ、それは学生本人の欠陥とみなされるだけではなく、教授の欠陥とみなされる。

「もし、学期末までずっと発言しない学生がいれば、それはちゃんと教えていないという意味だ」とマイケル・アンテビー教授は語った。

どうすれば授業に貢献する発言ができるか、学校側は講座を開いたりウェブページに掲載したりしている。

チェンの友人たちはその内容を覚えて、すらすらと教えてくれた。

「確信を持って話す。たとえ55%しか自信がなくても100%信じているかのように」
「ひとりだけで授業の準備をすれば、きっと失敗する。HBSではけっして単独行動をしないように」

「完璧な答えを考えるな。授業に出席して発言することは、黙っているよりもいい」

学生新聞『ハーバス』もさまざまな助言を載せている。

紙面には「上手に考え、上手にしゃべるには―即断即決!」「発表の仕方」「傲慢それとも自信満々?」といった記事が並んでいる。

教室以外のところでも状況は似ている。

午前の授業が終わると、学生の大半はスパングラー・センターの食堂で昼食をとる。

ある卒業生はその様子を「高校よりも高校らしい」と表現した。

そして、チェンは毎日のように悩む。

本当のところは、自分のアパートへ戻って静かに食事をしたいのだが、クラスメイトたちと一緒に食べるべきだろうか?

たとえいやいやながらスパングラー・センターで昼食をとったとしても、それで終わりではない。

ジレンマはさらに続く。

夕方のハッピーアワーもみんなにつきあうべきだろうか?

HBSの学生たちは週に何度も夜一緒に出かける。

一緒に行くのは義務ではないものの、集団行動が苦手な者にとっては、義務のように感じられる。

「ここでは人付き合いは過激なスポーツみたいなものだ。みんなしょっちゅう出かける。

もし一晩サボれば、翌日には『どこへ行っていた?』と訊かれる」とチェンの友人のひとりが言った。

チェンによれば、ハッピーアワーやディナーやドリンキングフェストといったイベントを企画するのは人気者の学生たちだ。

「クラスメイトは将来の自分の結婚式に来る人間たちだと教授は言う。豊かな交友ネットワークを築かずに卒業してしまったら、HBSに来た価値がないって」とチェンが語った。

夜ベッドに入る頃、チェンは疲れはてている。

そして、どうしてこれほど努力してまで外向的にふるまわなければいけないのかと考えることがある。

彼は中国系アメリカ人で、夏休みには中国で働くという経験をした。

そして、社会規範がアメリカとまるで違うのに驚き、中国のほうがずっと居心地がいいと感じた。

中国ではアメリカよりも、他人の話に耳を傾け、しゃべりまくるのではなく質問をし、他人の意向を優先する。

アメリカでは会話は自分の経験を効果的に語るためのものだが、中国ではつまらない情報で相手の時間を取り過ぎるのを心配する傾向が感じられる、とチェンは言う。

中国のことはさておき、マサチューセッツ州ケンブリッジの話に戻ろう。

学生たちを「現実の世界」に対応できるよう準備させるという点からすれば、HBSはすばらしい成果をあげている。

結局のところ、ドン・チェンが卒業後に出ていくビジネスの世界はスタンフォード・ビジネススクールの研究によれば、巧みな話術と社交性こそが、成功するかどうか予測するための二つの重要な指針になっている。

GEのミドルマネジャーから、こんな話を聞いたことがある。

「あなたがパワーポイントと『成功計画』を持っていなければ、この会社の人間は会おうともしない。

たとえ同僚になにかを提案するときでも、ただ相手のオフィスに座って、話しだすわけにはいかない。

賛否両論と気の利いた差し入れを持って、プレゼンテーションをしに行かなければならない」というのだ。

自営や在宅勤務の人を別にすれば、オフィスで働く人たちは同僚と円滑な関係を築くことに留意しなければならない。

2006年の<働くプロフェッショナルのためのウォートン・プログラム><WPWP>にこんな記事があった。

「ビジネスの世界では、どこのオフィスもアトランタ地区の企業研修トレーナーの表現がぴったりあてはまる。

『ここでは外向型であることが重要で、内向型であることは問題だと誰もが知っている。

だから、人々は居心地のよさは二の次にして、外向型に見られようと必死に努力する。

たとえば、CEOと同じシングルモルトのウィスキーを飲み、それなりのスポーツクラブへ通う』というものだ」

アーティストやデザイナーなど創造的なタイプの人間を雇う企業でさえも、外向型の人間を好むことが多い。

「われわれはクリエイティブな人間の心を惹きつけたい」とある大手企業の人事の責任者が言った。

「クリエイティブ」とはどんな意味かと問うと、彼女はすかさず答えた。

「外向的で、楽しく、ここで働きたいと強い意欲を持っている」ことだと。

■参考記事
内向型の人間がスピーチをするには
なぜクールが過大評価されるのか
内向型と外向型の考え方の違い
なぜ外向型優位社会なのか
性格特性はあるのか
内向型と外向型の上手な付き合い方
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リーダーは雄弁でなければいけないのか

だが、HBSのなかでも、判断に時間をかける静かなタイプよりも、すばやく決断する独断的なタイプを重要視するリーダーシップは間違っているかもしれない、と考える兆しがある。

毎年秋に、<亜北極サバイバルシチュエーション>と名づけられた手の込んだロールプレイングゲームが実施される。

学生たちに与えられるのはこんな課題だ。「時刻は10月5日午後2時30分。あなたたちが乗った水上機が、亜北極圏であるカナダのケベック州とニューファンドランド州の北部境界近辺のローラ湖の東岸に不時着した」という状況下で、学生たちは少人数のチームに分けられ、水上機のなかから15点の品物を見つけだしたという設定が与えられる―コンパス、寝袋、斧といった品物だ。

その後、生き残るために重要な順番で品物をランクづけするように言われる。

学生たちはまず各人で品物の重要度をランキングしてから、チームで同じ作業をくりかえす。

つぎに、自分たちのランキングを専門家の模範解答と照らし合わせる。

最後に、チームが話し合いをしたときのビデオを観て、どこが正しくどこが誤りだったかを確認する。

この課題の目的は共同作業を教えることにある。

上手な共同作業とは、個人よりもチームに重きを置くことを意味する。

個人が考えたランキングがチームで決めたランキングよりも得点が高ければ、そのチームは失敗したということだ。

そして、学生たちが積極的な発言を高く評価しすぎる場合には、失敗を招く可能性が高い。

チェンのクラスメイトのひとりは、幸運にも北部奥地での生活に詳しい若者と一緒のチームになった。

その若者は15個の品物をランキングするのに役立つ知識をいろいろ持っていた。

だが、彼は積極的に主張するタイプではなかったため、チームの面々は彼の意見に耳を傾けなかった。

「チームの行動計画は、雄弁なタイプのメンバーたちの意見で決定された」とそのクラスメイトは思い返す。

「あまり弁が立たないメンバーが意見を言っても採用されなかった。生き残るためにもトラブルを防ぐためにも重要な考えだったのに、雄弁なメンバーたちがあまりにも自信たっぷりに自説を押し通したせいで、無視されてしまったのだ。
あとからビデオで確認したのだが、とても恥ずかしかった」

この授業は象牙の塔の内部で実施される害のないゲームのように思えるかもしれないが、これまでに体験した話し合いを振り返ってみれば、積極的で雄弁な人が全員を説き伏せて、それが結局は全員の利益を損なう結果を招いたという体験が、あなたにもきっとあるだろう。

たとえば、PTAの会合を毎週火曜日にするか金曜日にするかといった、さほど害のない議題ならばいい。

だが、重要な問題である場合もあるかもしれない。

たとえば、<エンロン>社の重役会議で、不正な経理について公表するかどうかを決定するような場合だ。

あるいは、シングルマザーを刑務所へ送るかどうか、陪審団が話し合う場合も。

リーダーシップ・スタイルの専門家であるHBSのクイン・ミルズ教授に話を聞いた。

ミルズはピンストライプのスーツに黄色い水玉模様のネクタイをした、礼儀正しい男性だ。

よく響く声をしていて、話もうまい。

HBSの教育は「リーダーは雄弁であるべきと考えている。そして、私の見解ではそれは現実の一部分です」と彼は率直に語った。

だが、ミルズはまた、「勝者の呪い」として知られる現象について指摘した。

オークションなどで競って商品を落札する場合、最高額で入札する必要がある。

となると、その額は不合理なほど高くなる可能性がある。

競争相手に落札されたくないために、高すぎる金額で入札して、勝者が結局は損をするわけだ。

「そうした行動は積極的な人間にありがちです。
日常的に見かけるものです。
『どうしてこんなことになったんだ?なんでこれほどお金を払ったのだろう?』と人々は訊きます。

たいていの場合、状況に流されてしまったのだと納得するところでしょうが、じつはそうではありません。

独断的で押しの強い人々に流されたのです。

学生たちはそういう人々の意見に流されるリスクがあります。

それが正しい道だという保証はないのです」

もし、物静かなタイプと声高なタイプがほぼ同数ずつ、それぞれの考えを持っているとすると、雄弁で説得力がある後者がつねに勝利を得ることになるのではなかろうか。

となれば、悪い考えがよい考えを押しつぶして勝利するという事態が、しばしば起こりかねないだろう。

実際に、集団の力学に関する研究は、それが現実だと示唆している。

私たちはしゃべる人のほうが物静かな人よりも頭がいいと認識する―たとえ学校の成績や大学進学適性試験(SAT)や知能指数が、その認識が正しくないことを示していても。

面識のない二人を電話でしゃべらせる実験では、よくしゃべる人の方が、知的で外見がすぐれ、感じがいいと判断された。

さらに、わたしたちはよくしゃべる人をリーダーとみなす。

会議の場でしゃべればしゃべるほど、その場にいる人々は彼に注意を向け、会議が進むにつれて彼はパワーを増す。

早口でしゃべることもそれを助長する。

一般に、口ごもりながらしゃべる人よりも、立て板に水のようにしゃべる人のほうが有能であるとみなされる。

内向型だから有能なリーダーたち

雄弁さが洞察力の深さと相関しているのならば、なんの問題もないが、研究によればそんな相関関係は存在しない。

たとえば、こんな研究がある。

二人の大学生に数学の問題を一緒に解かせ、その後各自の知性と判断力を自己評価させた。

早口でしゃべり、発言回数も多い学生のほうが、自分の発言が問題を解決するうえで物静かな学生の発言よりも貢献していなくても(さらにSATの数学の点数が劣っていても)、一貫して評価が高かった。

また、企業立ち上げのための戦略を各自で練った場合でも、彼らは自分の独創性や分析力を高く評価した。

カリフォルニア州立大学バークレー校のフィリップ・テトロックが実施した有名な実験がある。

テトロックはテレビで解説する専門家たち―かぎられた情報を元に長々としゃべることで生計を立てている人々―による経済や政治の予測が当たる確率は素人の予測が当たる確率よりも低いことを、実験から発見したのだ。

そのうえ、的中率がもっとも低いのは、もっとも有名で自信満々な専門家だった―つまり、HBSの教室で生まれながらのリーダーとみなされるような人々だ。

米陸軍では、「アビリーンへのバス」と呼ばれる同じような現象が知られている。

これは「陸軍の人間なら誰でも知っている」もので、米陸軍大学校の行動科学の教授スティーブン・J・ジェラスが『2008年エール同窓会報』でつぎのように説明している。

「夏の暑い日、テキサスのある家で家族がベランダに座っていた。

そのうちに、退屈したからアビリーンまで行かないかとひとりが言い出した。

そして、ようやく目的地のアビリーンへ着いてみると、本当はこんなところまで来たくはなかったと提案者が言い出す。

すると、自分も来たくなんかなかったが、おまえが来たいのだと思ったから・・・という声があがり、結局のところ、全員が本心ではここへは来たくなかったのだとわかる。

そんな話だ。

だから、陸軍では、誰かが『どうやら、われわれはアビリーン行きのバスに乗ろうとしているみたいだ』と言えば、それは危険信号だ。

会話はそこで終わりにする。

これは非常に強力な文化の産物だ」

「アビリーンへのバス」の寓話は、私たちが真っ先に行動を起こす人のあとを追う傾向があることを示している―それがどんな行動だろうと。

同じく、私たちは雄弁な人に同意しがちである。

若い起業家から頻繁に売り込みを受けている成功したベンチャー投資家は、仕事仲間がプレゼンテーションのうまさと本物のリーダーシップとを見分けられないと嘆いていた。

優れた考えを持っているからではなく、しゃべるのがうまいおかげで専門家の地位にいる人がいるのです。

しゃべる能力と才能は見分けがつきにくい。

プレゼンテーションがうまく、社交的であれば、報われやすい。

さて、それはなぜだろうか?

たしかに貴重な特質だとは思うけれど、われわれは外見に重きを置きすぎて、内容や批判的な考えをおろそかにしすぎている」とその投資家は語った。

脳科学者のグレゴリー・バーンズは著書『偶像破壊者』のなかで、よいアイデアを選別しようとするときにプレゼンテーションの出来に頼りすぎるとどうなるかを調査した。

バーンズは<ライト・ソリューション>という企業が、スタイルではなく内容を重視する手段として、オンラインの”アイデアマーケット”を通じて従業員にアイデアを発表させる試みに成功した例をあげた。

ライト・ソリューションの社長であるジョー・マリノと、CEOのジム・ラヴォイエは、過去の苦い経験を踏まえてこのシステムを考案した。

「以前いた会社では、誰かが名案を考えついたら、会議で発表させてさまざまな質問を浴びせていた」とラヴォイエはバーンズに語った。

マリノによればそれはこんな様子だったという。

ある技術系の男性が名案を考えついた。

すると、会議の場で、彼のことを何も知らない社員たちから質問の集中砲火だ。

「マーケットの規模はどれくらい?」「マーケティングはどんなアプローチでやる?」「それに対するきみのビジネスプランは?」「商品化した場合のコストは?」といった具合だ。

たいていの人間は、そんな質問には答えられない。

そういう会議を切り抜けられるのは、最高の名案を考えつく人間ではない。プレゼンテーションが最高にうまい人間だ。

HBSが推奨する声高なリーダーシップ・モデルとは対照的に、有能なCEOたちのなかには内向型の人物が多い。

たとえばアメリカを代表する実業家のチャールズ・シュワブ、ビル・ゲイツ、世界最大のアパレルメーカー<サラ・リー>のCEOだったブレンダ・バーンズ、<デロイト・トウシュ・トーマツ>のCEOだったジェイムズ・コープランドなどだ。

「この50年間に出会ったり一緒に働いたりしたきわめて有能なリーダーのなかには、オフィスに閉じこもる人物もいたし、超社交的な人物もいた。

せっかちで衝動的な人物もいれば、状況を詳しく分析して判断に長時間かける人物もいた・・・共通する唯一の特質は、彼らが備えていないものだった。

すなわち彼らは『カリスマ的才能』をまったくあるいは少ししか持っておらず、それを利用することもなかった」と経営学のグルと呼ばれるピーター・ドラッカーは書いている。

ブリガムヤング大学の経営学教授ブラッドリー・エイグルは大手企業128社のCEOを調べた結果、重役たちからカリスマ的だとみなされている人物は、そうでない人物と比較して給料は多いが経営手腕はすぐれていないことを発見し、ドラッカーの主張を裏付けた。

私たちは社交性に富んだリーダーが必要だと思い込み過ぎている。

「企業で大きな決断は少人数の会議でなされたり、書類やビデオによるコミュニケーションを通じてされたりする。

大集団の前ではなされない。

だから万能である必要はないのだ。

アナリストでいっぱいの会議室に入ってくるなり、恐怖で真っ青になって立ち去るようでは、さすがに企業のリーダーはつとまらない。

だが、すべてを自分だけで背負う必要はないのだ。

非常に内省的で人前に出るのを嫌うリーダーを、私はたくさん知っている」とミルズは語った。

ミルズは典型的な例として、IBMをみごとに復活させた伝説の元会長ルー・ガースナーをあげた。

「ガースナーはHBSの卒業生である。

彼が自分の性格をどう評価しているかは知らない。

とにかく、重要なスピーチをしなければならない状況に何度となく遭遇してきただろうし、実際に、きわめて平静にそれをこなしてきた。

だが、私の印象では、彼は小人数のグループでいるときのほうが、ずっと居心地がよさそうだ。

著名な人々の多くがそうである。

全員ではないが、そういう人物は驚くほど多い」

それどころか、絶大な影響力を持つビジネス理論家ジム・コリンズの研究によれば、20世紀末のすぐれた大企業の多くは、彼が言うところの”第五水準の指導者”に率いられていた。

これらの例外的なCEOたちは派手なパフォーマンスやカリスマ性ではなく、極端な謙虚さと職業人としての意志の強さを持つことで知られていた。

コリンズは『ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則』で、<キンバリークラーク>のトップを20年間つとめて、紙製品の分野で世界を牽引する企業に育てあげ、株価を大幅に上昇させたダーウィン・スミスについて語っている。

スミスはJ・C・ペニーのスーツを着て地味な眼鏡をかけた、内気で控えめな人物で、休日にはウィスコンシン州の農村部にある家の周辺をひとりで散歩するのを好んだ。

『ウォールストリート・ジャーナル』紙にマネジメントスタイルについて問われると、スミスは質問者が気まずく感じるほど長時間じっと見つめてから、「エキセントリック」と一言だけ答えた。

CEOになったスミスはそれまで基幹製品だった印刷用加工紙の工場を売り払い、将来の展望が見込めると確信した消費者用紙製品の分野に積極的に投資した。

誰もがこの方針は誤りだと考え、キンバリークラークの株価は下がった。

だが、スミスは外野の騒ぎにいっさい動じず、自分が正しいと思った方針を貫いた。

その結果、キンバリークラークは業績を上げて他社を抜いた。

のちに戦略について尋ねられたスミスは、職務にふさわしい人間であろうとつねに努力している、と答えた。

コリンズは静かなリーダーシップに最初から目をつけていたわけではない。

彼は調査をはじめた頃、どのような特質が抜きんでた企業を生みだすかに関心を抱いており、優良企業11社を選んで、深く掘り下げた。

極度に単純化された答えを避けるために、はじめのうち彼はリーダーシップに関する問題を無視した。

だが、優良企業に共通するものはなにかと分析したとき、CEOの性質に共通点があることに気付いた。

11社のすべてがダーウィン・スミスのような謙虚なリーダーに率いられていたのだ。

そういうリーダーと一緒に働いた人々は、彼らをつぎのような言葉で表現する傾向があった―物静か、控えめ、無口、内気、寛大、温厚、でしゃばらない、良識的。

この調査から得られた教訓は明確だとコリンズは言う。

企業を変身させるのには偉大な個性は必要ない。

自分のエゴを育てるのではなく、自分が経営する企業を育てるリーダーが必要なのだ。

内向型リーダー、外向型リーダー

では、内向型リーダーは外向型リーダーとどんなところが違い、どんなところが勝っているのだろうか?

ペンシルヴェニア大学のビジネススクールである<ウォートン・スクール>のアダム・グラント教授は、その答えの一つを示してくれる。

グラントは長年にわたって『フォーチュン』誌が選ぶ全米500社の重役や米軍高官―グーグルから米陸軍・海軍など―の相談を受けてきた。

私が最初に話を聞いた当時、グラントはミシガン大学の<ロス・ビジネススクール>で教えていて、外向性とリーダーシップの相関関係を示す従来の研究は全体像をとらえていないと確信するに至っていた。

グラントが、ある空軍大佐について語ってくれた。

将官に次ぐ位で、数千人の部下を指揮し、ミサイル基地を防衛する任務に就いていたその大佐は、典型的な内向型の人物であると同時に、グラントがそれまで出会ったなかで最高のリーダーのひとりだった。

彼は人と話してばかりいると気が散るので、ひとりで考えごとをしたり気力を充電したりする時間をつくっていた。

落ち着いた口調で話し、大げさな抑揚をつけたりせず、表情も淡々としていた。

自分の意見を主張したり発言の機会を独占したりするよりも、他人の意見を聴いて、情報を収集することに関心を持っていた。

彼はまた多くの人々から尊敬されていた。

口を開けば、みんながじっと耳を傾けた。

それはなにも珍しいことではない―もしあなたが軍の高官ならば、誰もが話を熱心に聴いてくれるだろう。

だが、この空軍大佐の場合、人々は彼の肩書だけではなく、リーダーとしての彼の態度をも尊敬していたのだ。

彼は最終的な決定権が自分にあることを明確にしながらも、人々の意見をきちんと検討し、有意義な考えに適切な補足を与えた。

手柄を自分ひとりのものにしたり賞賛されたりすることに関心を持たず、部下を適材適所に配置して最大限に力を発揮させた。

すなわち、他のリーダーたちならば自分のためにとっておくような、もっとも興味深く有意義で重要な仕事を他人に任せたのだ。

いったいなぜ、既存の調査はその空軍大佐のような人材の存在を反映していないのだろうか?

グラントはその理由を考えた。

第一に、性格とリーダーシップに関する既存の調査を綿密に検討したところ、外向性とリーダーシップとの相関関係は大きくないとわかった。

第二に、それらの調査は現実の結果とは異なり、どんな人物がすぐれたリーダーであるかについての人々の認識にもとづいていた。

そして、個人的な意見は、単純な文化的バイアスを反映している場合が多い。

だが、グラントがもっとも興味を抱いたのは、既存の調査ではリーダーが直面する状況の多様性が考慮されていないことだった。

つまり、状況によって、内向型のリーダーが適切である場合もあれば、外向型のリーダーが求められる場合もあるのに、調査はその点を明確に区別していないのだ。

グラントはどのような状況で内向型のリーダーが求められるかを理論づけた。

彼の仮説によれば、外向型のリーダーは部下が受動的なタイプであるときに集団のパフォーマンスを向上させ、内向型のリーダーは部下がイニシアチブを取る能動的なタイプであるときにより効果的だ。

この仮説を確かめるために、彼はHBSのフランチェスカ・ジノ教授、ノースカロライナ大学<ケナン・フラグラー・ビジネススクール>のデヴィッド・ホフマンとともに、二つの研究を実施した。

第一の研究で、グラントらはアメリカの五大ピザ・チェーン店を対象にしたデータを分析した。

それによると、外向型の店長がいる店舗の一週間の売り上げのほうが、内向型の店長の店舗よりも16%多いとわかった。

ただし、これは従業員が自分でイニシアチブを取らない受動的なタイプである場合だけだった。

店長が内向型の場合、結果はまったく逆だった。

内向型の店長が、積極的に作業手順などを向上させようとするタイプの従業員と一緒に働いている場合には、外向型の店長の店舗よりも14%売り上げが多かったのだ。

第二の研究では、グラントらは163人の学生をいくつかのチームに分けて、10分間に何枚のTシャツを畳めるか競わせた。

各チームには、気付かれないように注意して二人ずつ役者を交ぜた。

いくつかのチームでは、役者は受動的な態度を取り、リーダーの指示に従った。

他のチームでは、役者の一人が「もっと効率的なやり方があるかもしれない」と発言し、もうひとりが日本人の友人から教わったTシャツの上手な畳み方があると言いだして、「教えるのには1,2分かかるけれど、習いたいですか?」とリーダーに尋ねる。

実験の結果は驚くべきものだった。

内向型のリーダーは外向型のリーダーより、Tシャツの畳み方を習う確率が20%高く、彼らのチームの結果は外向型のリーダーのチームの結果よりも24%よかった。

それに対して、チームの全員がなにも主張せず、リーダーの指示どおりに作業を進めた場合、外向型リーダーのチームのほうが作業効率が22%勝っていた。

いったいなぜ、従業員が受動的か能動的かでリーダーの有能さに変化が見られるのだろうか?

内向型リーダーは能動的な人間を導くのが非常に得意だと、グラントは言う。

他人の話に耳を傾け、

社会的地位の独占にこだわらない傾向ゆえに、内向型リーダーは助言を受け入れやすい。

従業員の能力から恩恵を受ければ、いっそう能動的になるように従業員に動機づけをする。

要するに、内向型リーダーは能動性の有効な循環をつくる。

Tシャツ畳みの実験で、内向型リーダーは心を開いて意見を聞き入れてくれ、そのせいで意欲がいっそう湧いたと、チームのメンバーたちは報告した。

それに対して、外向型リーダーは自分のやり方にばかり気をとられて、他人の名案に耳を貸せず、チームのメンバーたちを受け身に陥らせる傾向があった。

「彼らはひとりでしゃべっていることが多くなりがちで、他のメンバーたちが助言しようとしても耳を貸さない」

とフランチェスカ・ジノは言う。

だが、外向型リーダーは、他人を鼓舞する能力を発揮して、受動的な人々から結果を引き出すのがうまい。

この研究はまだはじまったばかりだ。

だが、グラントの後援ですぐに進展するだろう。

彼自身は非常に能動的な人物だ(同僚のひとりは、グラントを「開始予定時間よりも28分前に物事をはじめられる人物」と評している)。

年中無休で夜中も営業という現代のビジネス環境では、リーダーの指示を待たずに自分で判断して動ける能動的な従業員は企業の成功に欠かせなくなってきていることから、これまでの発見は非常に有意義なものだとグラントは考えている。

そうした従業員の貢献をどのように最大化するかを理解することは、すべてのリーダーにとって役立つだろう。

企業にとっては、外向型だけでなく内向型をリーダーの役割を担えるよう訓練することもまた重要である。

大衆向けの出版物は、内向型のリーダーは人前で話したり笑顔を見せたりするスキルをもっと磨くべきだという助言だらけだと、グラントは言う。

だが、グラントの研究は、少なくとも重要な点をひとつ示唆している―従業員にイニシアチブを取らせることだ。

内向型リーダーはそれを自然に実行している。

その一方で、外向型リーダーは「もっと控えめで静かなスタイルを採用したいと思っているかもしれない」とグラントは書いている。

彼らは自分が席に座ってほかの人が立っていてくれる方法を学びたいのかもしれない。

それこそ、アメリカ公民権運動のパイオニアと呼ばれるローザ・パークスが学ばずとも知っていたことだ。

補完し合う内向型、外向型

ローザパークスは、アメリカの公民権運動のパイオニアとして知られている。

パークスは以前から全米有色人種地位向上協会(NAACP)の裏方をつとめて、非暴力抵抗運動に親しんでいた。

彼女が政治に関わるようになったのには、さまざまな原因があった。

子ども時代に住んでいた家の前では、白人至上主義団体クー・クラックス・クランが進行した。

彼女の兄は米陸軍の兵士として第二次大戦に従軍し、白人兵士の命を救ったにもかかわらず、故郷へ戻ると侮辱された。

18歳の黒人青年が、レイプの罪を着せられて電気椅子へ送られた。

パークスはNAACPのモンゴメリー支部の書記になり、近隣の子どもたちに本を読み聞かせた。

彼女は勤勉で尊敬すべき人物だったが、リーダーとみなされてはいなかった。

言うなれば一介の歩兵だったのだ。

知っている人は少ないだろうが、パークスは市営バスの運転手と対決する12年前にも、彼と出会っていた。

1943年11月の午後、パークスはバスの後方乗車口がひどく混んでいたので、前方から乗り込んだ。

運転手のジェイムズ・ブレークは、後ろから乗れと命令して、彼女を力ずくで押し出そうとした。

彼女は体に手を触れないでくださいと言った。

毅然とした態度で、自分で降りますからと静かに伝えた。

ブレークは「さっさと降りろ」と唾を吐きかけた。

パークスは運転手の命令に従ったが、バスから降りる前に、ハンドバッグを落として、それを拾うついでに「白人専用」の座席に腰をおろした。

「レオ・トルストイが提唱し、マハトマ・ガンジーが信奉した”消極的抵抗”を、彼女は直観的に実践したのだ」と歴史家のダグラス・ブリンクリーはパークスの評伝で書いている。

キング牧師が非暴力主義を提唱するよりも10年以上前のことだったが、「非暴力主義の根本方針は彼女の個性と完璧に合致するものだった」とブリンクリーは述べた。

パークスはブレークにひどい仕打ちをされ、その後12年間彼のバスには乗らなかった。

だが、ブリンクリーによれば、12年後にうっかり彼のバスに乗ってしまい、その結果、「公民権運動の母」と呼ばれる存在になったのだ。

バスでのパークスの行動はとても勇気が必要で、なかなかできないことだが、彼女の静かな力強さがもっと輝いたのは、その後の法廷闘争の場だった。

パークスは市条例違反で有罪判決を受けたが、地元の公民権運動の活動家たちの後押しで、バス車内での人種分離を決めている条例がそもそも違憲であるとして控訴した。

これは非常に困難な決断だった。

病気の母親の面倒を見ていた彼女にとって、自分ばかりか夫までもが職を失うことを意味していた。

しかも、身に危険が迫ることも意味していたからだ。

「バスの出来事で逮捕されただけでも大変なことだった。

そのうえ、控訴することは、歴史家のテイラー・ブランチの言葉のように『自ら進んで窮地に再突入する』に等しかった」とブリンクリーは書いている。

だが、パークスは原告として最適な性質を備えていた。

熱心なクリスチャンで、清廉潔白な市民であり、物静かな人物だったからだ。

落ち度のないパークスに対する仕打ちに人々は怒った。

パークスの静かな力強さは反撃の隙を与えなかった。

決心するのに時間がかかったものの、結局パークスは控訴に同意した。

裁判の夜に開かれた集会にも参加した。

この集会で、発足したてのモンゴメリー向上協会の責任者だった若きマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が、地元の黒人住民に向けて市営バスのボイコットを呼びかけた。

「起こるべくして起こった出来事だが、ローザ・パークスのような高潔な人物が当事者になったのを喜ばしく思っている。

彼女が人格者であることには、誰も疑問を差し挟めない。

ミセス・パークスは謙虚で、高潔な人格者である」とキング牧師は聴衆に語った。

その後、パークスはキング牧師ら活動家とともに寄付集めの講演会にも参加した。

講演会で各地をめぐるあいだ、彼女は不眠症や胃潰瘍やホームシックに悩まされた。

尊敬していたエレノア・ルーズベルト夫人とも面会したが、夫人はそのときの出会いを新聞のコラムに「彼女はとても物静かでやさしい女性で、いったいどうしてこれほど前向きで独立心に溢れた行動をとれるのか想像もつかないほどだった」と書いている。

一年以上続いた市営バスのボイコットがようやく終わり、最高裁が違憲判決を出して公共交通機関における人種差別を禁じたとき、パークスは報道に無視された。

『ニューヨーク・タイムズ』紙は一面でキング牧師の勝利を祝ったが、彼女についてはまったく触れなかった。

他の新聞はボイコットの指導者たちがバスを背後にして並んでいる写真を載せたが、そこに彼女の姿はなかった。

だが、彼女は気にしなかった。

市営バスの人種差別が撤廃された日、彼女は自宅で母親の世話をするほうを選んだのだ。

ローザ・パークスの話は、私たちがスポットライトをあてられるのを好まない歴史上のリーダーを賞賛してきたことを、あらためて思い出させてくれる。

たとえば、預言者モーセは、旅行の計画を立てたり長々としゃべったりするHBSの学生のように、精力的で口数の多い人物ではなかったようだ。

それどころか、現代の基準からすれば、ひどく内気だと言えよう。

彼は口ごもりながらしゃべり、自分ははっきり意見が言えないと思っていた。

旧約聖書の『民数記』は、モーセを「この世のすべての人間のなかでも、とりわけおとなしい」と表現している。

神が燃える柴となってはじめて語りかけてきたとき、モーセは義父に雇われて羊飼いをしており、自分の羊を持ちたいという野心さえ持っていなかった。

そして、ユダヤの民を救うという使命を神から伝えられたとき、彼はすぐにその機会に飛びついただろうか?

誰かほかの者を送ってくださいと、彼は言った。

「私は人を導くほど雄弁ではありません。しゃべるのは遅く、弁舌も爽やかではありません」と訴えたのだ。

外向的な兄アロンを代弁者とすることで、モーセはやっと自分の使命を受け入れる。

モーセはまるでシラノ・ド・ベルジュラックのように、スピーチの原稿を書く役割を担ったわけだ。

アロンはモーセの意見を人前で代弁した。

「彼はおまえの口のようであり、おまえは彼の神のようである」と神は言った。

アロンの協力を得て、モーセはユダヤ人を率いてエジプトから逃れ、40年間も彼らを砂漠で養い、シナイ山から十戒を持ち帰った。

そして、それらの行動のすべてを内向型ならではの能力を駆使してやり遂げた。

知恵を求めて山を登り、そこで学んだことを注意深く二つの石版に刻みつけたのだ。

私たちは『出エジプト記』の物語からモーセの性格を想像しがちだ。

セシル・B・デミル監督の名画『十戒』では、モーセはがむしゃらな性格で、堂々としゃべる人物として描かれ、アロンの助けは借りない。

私たちは、なぜ神が人前でうまくしゃべれない内気な人物を預言者に選んだのか問いかけようとはしない。

だが、考えてみるべきなのだ。

『出エジプト記』ではあまり説明されていないが、この物語は内向型と外向型は陰陽を成していると示唆している。

媒介物は必ずしもメッセージではない。

そして、人々がモーセに従ったのは、彼がうまくしゃべるからではなく、彼の言葉が思慮深かったからだ。

ソーシャルメディアの普及で内向型の人もアピールする時代

パークスが行動で語り、モーセが兄アロンを通じて語ったのだとすれば、現在では、インターネットを通じて語る内向型リーダーがいる。

マルコム・グラッドウェルは『急に売れ始めるにはワケがある』で”コネクター”の影響について探っている。

コネクターとは、「世界を結びつける特別な才能」や「社会のつながりをつくる本能的な天賦の能力」を持った人々のことだ。

グラッドウェルは「典型的なコネクター」として、ロジャー・ホーチョウをあげた。

実業家として成功したホーチョウは『レ・ミゼラブル』など大ヒットミュージカルの後援者であり、「まるで切手を集めるように人々を集める」という。

「もし、大西洋を横断する飛行機のなかで隣の席に座ったなら、ホーチョウは飛行機が動きはじめたとたんにしゃべりだし、シートベルト着用のランプが消える頃には、あなたは気分よく笑っていて、気付けばまたたくまに目的地に着陸しているだろう」とグラッドウェルは書いている。

一般に、コネクターと言えば、グラッドウェルが描写したホーチョウのような、話好きで社交性に富み、雄弁な人物を思い浮かべるはずだ。

だが、クレイグ・ニューマークという控えめで思索的な人物のことを考えてほしい。

背が低く、禿げ頭で眼鏡をかけたニューマークはIBMで17年間にわたってエンジニアをしていた。

それ以前は、恐竜やチェスや物理学に興味を抱いていた。

もし、飛行機のなかで隣に座ったら、彼はずっと本を読んでいるだろう。

にもかかわらず、彼は自分の名前を冠して<クレイグズリスト>と名づけた、人と人を結びつける巨大コミュニティサイトの創設者にして大株主なのだ。

2011年5月28日時点で、クレイグズリストは世界第七位のウェブサイトだ。

70カ国の700都市にユーザーがいて、求人求職やデートの相手さがしから、腎臓移植のドナーさがしにいたるまで、さまざまな投稿が掲載されている。

このサイトを通じて、ユーザーはコーラスグループに入ったり、互いの俳句を鑑賞したり、恋愛話を打ち明けたりする。

このサイトはビジネスではなく、人々のための広場なのだと、ニューマークは表現する。

ハリケーン・カトリーナに襲われたあと、クレイグズリストは行き場を失った人々が新しい家を見つけるのに役立った。

2005年にニューヨークシティで公共交通機関がストを実施したときには、車の相乗りをさがすには欠かせないサイトになった。

あるブロガーがそのストライキのときのクレイグズリストの役割についてこう書いている。

「もう一度あんなことがあれば、クレイグズリストがまた社会を指揮するだろう。

クレイグズリストはどうしてあれほど組織的に、あんなにも多種多様な人々の人生に触れることができるのだろう?

そして、どうしてユーザーたちは、互いの人生に触れることができるのだろう?」

ここにひとつの答えがある。

ソーシャルメディアは、HBSの基準にはあてはまらない多くの人々にとっても可能な、新しい形のリーダーシップを生んだのだ。

2008年8月10日、<アップル>のエバンジェリストをつとめたこともあり、ベストセラーを数多く書いているガイ・カワサキは、「信じられないかもしれないが、僕は内向型の人間だ。

『役割』を演じてはいるが、基本的には単独で行動する」とツイートした。

これはソーシャルメディアの世界に騒ぎを巻き起こした。

2008年8月15日、ソーシャルメディアのニュースサイト<マッシャブル>の創設者であるピート・キャッシュモアもこれに参戦した。

彼は問いかけた。

「もし『イッツ・アバウト・ピープル』というマントラを唱えている代表的な人々が、現実世界では大勢の人々に会うことに魅力を感じていないのだとしたら、それはとても皮肉な話じゃないかい?

おそらくソーシャルメディアは、現実の人間関係では僕らに欠けているコントロールをもたらしているのだろう」

そしてキャッシュモアは自分をさらけだした。

「僕を『内向型』のキャンプに入れてくれ」とツイートしたのだ。

じつのところ、研究によれば、内向型の人々は外向型の人々よりも、オンライン上で自分について親や友人が読んだら驚くようなことまであきらかにし、「本当の自分」をさらけだし、オンラインの会話により多くの時間を割くことがわかっている。

彼らはデジタルコミュニケーションの機会を歓迎する。

200人収容の講義室では絶対に手を上げて発言しない人が、ブログではためらいなく2000人はおろか200万人を相手に語っていたりする。

初対面の人に挨拶するのもままならない人が、オンライン上では生き生きと自分をアピールし、その関係を現実世界にまで広げたりもする。

もし亜北極サバイバルシチュエーションがオンラインで実施されて、すべての人の声が反映されたなら、どんな結果がもたらされただろう?

ローザ・パークスもクレイグ・ニューマークもダーウィン・スミスもみんな参加して。

もし不時着した集団が、穏やかに意見を促す内向型のリーダーに率いられた、外向型の人々だったなら、どうだろう?

ローザ・パークスとキング牧師のようにそれぞれの立場を貫く内向型と外向型がいたら、どうだろう?

彼らは正しい結論にたどりつくだろうか?

その問いに答えるのは不可能だ。

そういう研究は誰もしたことがない―残念なことだ。

HBSが信奉するリーダーシップが、自信と迅速な決断に重きを置くのは理解できる。

もし積極的な人間が決定権を持つとしたら、他人に影響力を行使するのが仕事であるリーダーにとって、それは有用なスキルとなる。

決断力は自信をもたらし、それに対して、躊躇は(あるいは、躊躇しているように見えるだけでも)士気を脅かしうる。

だが、そうした真実を重要視しすぎる場合がありうる。

一部の状況では、物静かで謙虚なスタイルのリーダーシップが同等、あるいはそれ以上に効果的かもしれない。

HBSのキャンパスから去るとき、ベイカー図書館のロビーで、『ウォールストリート・ジャーナル』紙の漫画がいくつか貼ってあるのが目についた。

そのひとつでは、見るからにやつれた重役が右肩下がりの利益表を見ている。

「なにもかもフラッドキンのせいだ。彼はビジネスセンスは悪いが、リーダーとしてのスキルは最高だから、みんな彼に連れられて破滅の道をまっしぐらだ」と、重役は同僚に言っていた。